10才の頃から糖尿病(MODY3)をやってるおっさんのブログ

主に糖尿病の事を書いていくブログです。

新 第35回 サブレンジャーの体験2

 遅くなりましたが、皆様、明けましておめでとうございます。

 未次 始です。

 先ず、能登地震で被災された方々、お見舞い申し上げます。

 丁度、こちらのブログでサブレンジャーの体験として富山県の事を書いておりましたのでとても衝撃を受けました。皆様の無事と一日でも早い日常の復興をお祈りさせていただきます。

 

 一瞬、自粛という単語が浮かびましたが、それも災害に負けた様な気もして嫌だったので、このままサブレンジャーの経験を書かせていただきます。

 

 富山県に入った後は森林管理所の近くの民宿に泊まり翌日に森林管理所でサブレンジャーの説明と制服を受け取りました。

 説明は仕事の内容と、どういうルートをどの程度の日程で行うか、また共に行動するバディの発表がありました。幸い同じ学校から同じくバイトに来ていた同級生の方でしたので気まずい思いや不安とは無縁でした。

 

 正直、昔の記憶すぎて曖昧なのですが、その後バスで立山室堂山荘(だった気がします。)まで有料道路を使って向かい、その日はそこで一泊。

 次の日はその周辺を散策して終了だった気がします。バスで行けるとは言え、標高が2500m程あるので、高山病にならない為に身体を慣らす為だったと思います。

 入山して3日に五色ヶ原山荘へ向かいました。

 この日が一番大変でした。結論から言いますと軽度の高山病だったと思われます。数分しか歩いていないのにびっしょりと汗をかき、休憩を余儀なくされました。幸い休憩を繰り返し取る度に少しずつ歩けるようになっていきましたが予定の時間を大きく遅れての到着となってしまいました。

 山の天気は変わり易く、昼過ぎ位には次の拠点に到着するのが理想です。ですがこの時はもう直ぐ日が落ちる位の夕方でした。山には光源が無いので日が落ちての行動は危険です。

 バディの方には大変ご迷惑をお掛けしました。色々気を使ってくれて有難うございました。本当に感謝しています。

 後から聞きましたが、私が余りにも辛そうに歩いていたので、途中下山を持ち掛けようか迷っていたそうです。実際、何も考えず(考えられず)、心持ちとしては黄泉比良坂を歩いている死人の気分でした。

 綺麗な景色や、山荘に着いた際に丁度虹なども見れた筈なのですが殆ど覚えていません。山荘に着いてからの記憶は曖昧です。

 その翌日は五色ヶ原山荘周辺を散策しつつ、ゴミ拾いをした記憶があります。

 この辺りから低血糖になりそうな感覚がちょこちょこ出てくるようになりました。

 その度に一口チョコレートを齧って回復していました。

 確か、当時、速効型インスリンのRを各食事毎に12単位程、持効型Nも12単位程打っていた記憶があります。

 当然、リブレも無く、自分の中での血糖値のグラフも今より全然曖昧でした。

 登山中にこまめに休憩を取っていましたが、その度に血糖値は測っていませんでした。その頻度で使っていると測定センサーが足りなくなるからです。一月に貰えるセンサーの数はかぎられていますので。

 今から振り返れば山荘や山小屋での食事は日持ちや補給の観点から穀類が多く、調理方法も天ぷらが多かった事と、ご飯も普通の飲食店より盛り方が多く盛られていた気がします。

 その食事の変化がこれ迄の日程で明らかに運動量が多くなったにも関わらず、インスリンの量を変えていなかったのに、低血糖にならずに済んだ理由だったのかもしれません。

 高山病になりかけていた時に低血糖にならなくて本当に良かった。

 

 今回はこの辺りで失礼したいと思います。

 怒涛の事件・事故のから始まった年になりましたが負けずに頑張っていきたいものですね。

 また、次回のブログでお会いしましょう〜ノシ